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2020年12月13日 [絵について]
洋画家 藤田真理 近所の相鉄ギャラリーに於ける藤田真理自選展について (続編)
昨日のブログでは、緑園の我が家から、相鉄ギャラリーまでの、近辺の様子を書きました。
さて、今日は相鉄ギャラリーについて述べようと、思います。
相鉄ギャラリーは、相模鉄道が開発した二俣川から湘南台までのいずみ野線の、緑園都市駅にあります。
30年以上前、丁度バブルが始まったばかりの頃です。駅前から広がる住宅地開発の中で相鉄文化会館を合わせて作りました。
独特な、近未来的なその建物は、京都駅ビルなどを手掛けた原広司氏の設計です。あまりにもモダンすぎて、入口がわからない、といった声もきかれました。それもそのはず入口はエレベーターホールだけで、4階まで一気に昇ってしまうからです。4階のギャラリーを支えている建物以外の一本足にあたるのが、そのエレベーターなのです。4階で降りると、すぐギャラリーが広がって、ギャラリーというより、小美術館の趣きがありました。
1か月ごとの入れ替えで、絵画、写真、工芸など多彩なジャンルのギャラリーでした。地域の住民が、気楽に散歩の途中に立ち寄ったりできる身近な、場所として位置ずけられていました。
相鉄ギャラリー
私はその頃銀座の画廊で個展を重ねていました。2015年に、地元の皆様に身近で作品を紹介する機会が与えられたので、藤田真理自選展と銘打ち、100号以上の大作中心の個展を開催致しました。東京の美術館に行かずして、地元で美術館展示の絵が見れるーーーこれは、地元民にラッキーなことだと思われます。
開催のメリットは 地元での個展の機会を得て広く知れ渡ったことでしょうか。個展ポスターを、相鉄電車のつり広告として、全車両に1か月間も掲載していただけました。横浜から相鉄電車で帰宅中もすぐ私の絵のポスターが、つり広告として目に入ってきました。個人の力では、こんな大それた高額宣伝はできません。これは、一番喜ばしいことでした。
又改札口の上にあるテロップで常時、藤田真理自選展の案内が、流されていました。これも、個人の力では、有り得ないことでした。
また、神奈川放送テレビの取材と、テレビ放送。各種新聞社の記事取材、各種新聞に掲載なども相鉄ならではの企画でした。
展覧会の詳細に関しては、藤田真理公式ホームページをご覧ください。
3年程前に、惜しまれつつ閉館致しました。
次回もお楽しみください。
さて、今日は相鉄ギャラリーについて述べようと、思います。
相鉄ギャラリーは、相模鉄道が開発した二俣川から湘南台までのいずみ野線の、緑園都市駅にあります。
30年以上前、丁度バブルが始まったばかりの頃です。駅前から広がる住宅地開発の中で相鉄文化会館を合わせて作りました。
独特な、近未来的なその建物は、京都駅ビルなどを手掛けた原広司氏の設計です。あまりにもモダンすぎて、入口がわからない、といった声もきかれました。それもそのはず入口はエレベーターホールだけで、4階まで一気に昇ってしまうからです。4階のギャラリーを支えている建物以外の一本足にあたるのが、そのエレベーターなのです。4階で降りると、すぐギャラリーが広がって、ギャラリーというより、小美術館の趣きがありました。
1か月ごとの入れ替えで、絵画、写真、工芸など多彩なジャンルのギャラリーでした。地域の住民が、気楽に散歩の途中に立ち寄ったりできる身近な、場所として位置ずけられていました。
相鉄ギャラリー
私はその頃銀座の画廊で個展を重ねていました。2015年に、地元の皆様に身近で作品を紹介する機会が与えられたので、藤田真理自選展と銘打ち、100号以上の大作中心の個展を開催致しました。東京の美術館に行かずして、地元で美術館展示の絵が見れるーーーこれは、地元民にラッキーなことだと思われます。
開催のメリットは 地元での個展の機会を得て広く知れ渡ったことでしょうか。個展ポスターを、相鉄電車のつり広告として、全車両に1か月間も掲載していただけました。横浜から相鉄電車で帰宅中もすぐ私の絵のポスターが、つり広告として目に入ってきました。個人の力では、こんな大それた高額宣伝はできません。これは、一番喜ばしいことでした。
又改札口の上にあるテロップで常時、藤田真理自選展の案内が、流されていました。これも、個人の力では、有り得ないことでした。
また、神奈川放送テレビの取材と、テレビ放送。各種新聞社の記事取材、各種新聞に掲載なども相鉄ならではの企画でした。
展覧会の詳細に関しては、藤田真理公式ホームページをご覧ください。
3年程前に、惜しまれつつ閉館致しました。
次回もお楽しみください。