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2020年12月03日 [絵について]
悲劇の難病を乗り越えた洋画家 藤田真理のサクセスストーリー
12月3日は、ブログ開設の記念すべき日となりました。
洋画家藤田真理の来し方行く末を語りだせば話は、つきません。
千夜一夜物語のように毎夜興味のあるおもしろいブログを提供しなければ殺されてしまうといった、緊迫感はありません。ただ、このコロナの中で一幅の清涼剤となればと願ってやみません。
さて、洋画家藤田真理は1985年以来今日まで40年近く毎日、絵を描いてきました。個展17回。コンクールに至っては日本最高峰の毎日新聞社主催現代日本美術展に2回も入選を果しました。詳細については藤田真理公式ホームページをごらんください。
100号 (S) 油彩画 2000-年代作
ところが順調な毎日を突然狂わせた大きな悲劇が襲いかかってきたのです。それは、東日本大震災と時を同じくしました。
体のあちこちが痛み、今日は肩、明日は膝、その次の日は手首といったように体中関節の自由がきかなくなったのです。そうです。それは、リウマチという難病だったのです。それでも絵筆は離しませんでいた。
そうこうしているうちに、父が、老衰でなくなり、次の年には母が、がんで亡くなりました。リウマチの痛さは、陣痛の痛みに、匹敵。リウマチ談議は、追って話していきたいと思っています。
父母の介護もできず、自分の体を維持するだけで手一杯の毎日。
リウマチの悲劇に追い打ちをかけるような両親の死になすすべもなく後悔だけが残りました。
しかし運よくリウマチによく効く薬と注射が開発され、必死の努力も相まって寛解しました。寛解とは、薬、注射で普通の人と同じ様になることです。
その後、元気をとりもどして、なんと、昨年はニューヨークの国際アートフェアーARTEXPO New York に出品できたのです。この国際アートフェア―は、アンディ ウオホールやロバート インディアナ、ピーター マックス等が彼らのキャリアのために使用し新生アーティストの最高の展示機会として、しられてきた、40年を超える老舗です。
私の油彩画には、日本中誰も出来ない技法があります。
それは、油絵具の粒によるぼかし表現です。ニューヨークで発表できたことは、大成功でした。
30号 (S) 油彩画 2019年作
悲劇の難病の病いから、奇跡的な回復をとげ、またアートの第一線で、活躍できる、この至福の喜び。あきらめなくてよかった。人生谷あり、山あり。苦あれば、楽あり。身を持って、知った人生体験でした。詳しいことは追って、ブログに書いていきたいです。
また、大変喜ばしいことに、4人の子どもたちが、(長男、次男、長女、その夫)医師として、独立しました。長男、次男ともに、薬剤師の心優しい嫁を迎え孫たちにも恵まれました。次世代へと脈々とつながるDNA。私が死んでもDNAは生き続ける。又、ブログで、子どもを医師に育て上げるノウハウを伝えたいと思っております。
4人の子供を医師に育て書籍にしたり、全国を講演でとびまわっている方がいますが、それは、私ではありません。
私は、多忙につき追ってブログでお伝えします。ひょっとしてその方のように書籍にしたり、講演会を開けるほどの価値が私にもあるかもしれません。
悲劇の難病リウマチを乗り越えたサクセスストーリーを、次回もお楽しみください。
洋画家藤田真理の来し方行く末を語りだせば話は、つきません。
千夜一夜物語のように毎夜興味のあるおもしろいブログを提供しなければ殺されてしまうといった、緊迫感はありません。ただ、このコロナの中で一幅の清涼剤となればと願ってやみません。
さて、洋画家藤田真理は1985年以来今日まで40年近く毎日、絵を描いてきました。個展17回。コンクールに至っては日本最高峰の毎日新聞社主催現代日本美術展に2回も入選を果しました。詳細については藤田真理公式ホームページをごらんください。
100号 (S) 油彩画 2000-年代作
ところが順調な毎日を突然狂わせた大きな悲劇が襲いかかってきたのです。それは、東日本大震災と時を同じくしました。
体のあちこちが痛み、今日は肩、明日は膝、その次の日は手首といったように体中関節の自由がきかなくなったのです。そうです。それは、リウマチという難病だったのです。それでも絵筆は離しませんでいた。
そうこうしているうちに、父が、老衰でなくなり、次の年には母が、がんで亡くなりました。リウマチの痛さは、陣痛の痛みに、匹敵。リウマチ談議は、追って話していきたいと思っています。
父母の介護もできず、自分の体を維持するだけで手一杯の毎日。
リウマチの悲劇に追い打ちをかけるような両親の死になすすべもなく後悔だけが残りました。
しかし運よくリウマチによく効く薬と注射が開発され、必死の努力も相まって寛解しました。寛解とは、薬、注射で普通の人と同じ様になることです。
その後、元気をとりもどして、なんと、昨年はニューヨークの国際アートフェアーARTEXPO New York に出品できたのです。この国際アートフェア―は、アンディ ウオホールやロバート インディアナ、ピーター マックス等が彼らのキャリアのために使用し新生アーティストの最高の展示機会として、しられてきた、40年を超える老舗です。
私の油彩画には、日本中誰も出来ない技法があります。
それは、油絵具の粒によるぼかし表現です。ニューヨークで発表できたことは、大成功でした。
30号 (S) 油彩画 2019年作
悲劇の難病の病いから、奇跡的な回復をとげ、またアートの第一線で、活躍できる、この至福の喜び。あきらめなくてよかった。人生谷あり、山あり。苦あれば、楽あり。身を持って、知った人生体験でした。詳しいことは追って、ブログに書いていきたいです。
また、大変喜ばしいことに、4人の子どもたちが、(長男、次男、長女、その夫)医師として、独立しました。長男、次男ともに、薬剤師の心優しい嫁を迎え孫たちにも恵まれました。次世代へと脈々とつながるDNA。私が死んでもDNAは生き続ける。又、ブログで、子どもを医師に育て上げるノウハウを伝えたいと思っております。
4人の子供を医師に育て書籍にしたり、全国を講演でとびまわっている方がいますが、それは、私ではありません。
私は、多忙につき追ってブログでお伝えします。ひょっとしてその方のように書籍にしたり、講演会を開けるほどの価値が私にもあるかもしれません。
悲劇の難病リウマチを乗り越えたサクセスストーリーを、次回もお楽しみください。